御本立鶴茶碗
抹茶茶碗もどきシリーズ、第14作。
☆ この抹茶茶碗もどきシリーズの中で、特に気に入っている習作の1つである。
御本立鶴茶碗写し
御本立鶴茶碗写し

『御本を代表する作品といえばやはり御本立鶴茶碗である。器形はほぼ一定した筒型で、高台はざっくりとした割高台となっている。胴の二方にとぼけた姿の鶴が白と黒で象嵌され、総体に透明釉が掛けられている。この鶴の文様については、加賀前田家の祝いに徳川家光が描いた鶴の絵を下絵にしたと伝えられている。その真否はともかく、十数碗知られるこの種の茶碗のいずれも同じ構図である。胎土に含まれている鉄分が、焼成時に赤く発色して所々に赤みがさし、あるいは鹿の子状の斑文が現れる。すでに和風化した茶碗であるが、御本茶碗のなかでは風格があり、茶人の間では格別なものとされている。』(「やきもの名鑑5 朝鮮の陶磁」講談社 P136より)
『御本は寛永十六年の幕府に於ける大福茶の茶碗として、遠州の指導で造形され三代将軍家光公に鶴の絵を依頼してこれを型にし前後に押して白と黒の象嵌を施したもので、御手本から始まったことから御本とよばれるようになった。本歌はいずれも大振りで、均整がとれており高台が三ツ割でしっかりとしている
はじめ釜山は取り次ぎの館を設けていただけだったが、途中から釜山の倭館内に窯場を築き、近辺の各地からその陶土を集荷した
御本も元禄をすぎるとしだいに陶土の集荷が困難になり、ついに享保二年(1717)にその幕を閉じ、その後しばらくは対馬でこれを補うがやがてこれも閉窯する事になる』(丸山陶李「御本茶碗」より)
御本立鶴茶碗写し

見込み

割高台
高台の径は、本歌より大きくしてみた。

菓子は、ささまの上生菓子‘紫陽花’
『紫陽花(錦玉)
白餡に半錦(錦玉と羊羹の中間の物)を付け淡雪羹を付けた物です。
雨に濡れ咲いている紫陽花を表現しています。
北海道産大手亡、砂糖、水飴、寒天、卵白、着色料(赤色3号 赤色105号 青色1号)を使用』(「御菓子処さゝま」紫陽花より)

☆ この抹茶茶碗もどきシリーズの中で、特に気に入っている習作の1つである。
御本立鶴茶碗写し
御本立鶴茶碗写し

『御本を代表する作品といえばやはり御本立鶴茶碗である。器形はほぼ一定した筒型で、高台はざっくりとした割高台となっている。胴の二方にとぼけた姿の鶴が白と黒で象嵌され、総体に透明釉が掛けられている。この鶴の文様については、加賀前田家の祝いに徳川家光が描いた鶴の絵を下絵にしたと伝えられている。その真否はともかく、十数碗知られるこの種の茶碗のいずれも同じ構図である。胎土に含まれている鉄分が、焼成時に赤く発色して所々に赤みがさし、あるいは鹿の子状の斑文が現れる。すでに和風化した茶碗であるが、御本茶碗のなかでは風格があり、茶人の間では格別なものとされている。』(「やきもの名鑑5 朝鮮の陶磁」講談社 P136より)
『御本は寛永十六年の幕府に於ける大福茶の茶碗として、遠州の指導で造形され三代将軍家光公に鶴の絵を依頼してこれを型にし前後に押して白と黒の象嵌を施したもので、御手本から始まったことから御本とよばれるようになった。本歌はいずれも大振りで、均整がとれており高台が三ツ割でしっかりとしている
はじめ釜山は取り次ぎの館を設けていただけだったが、途中から釜山の倭館内に窯場を築き、近辺の各地からその陶土を集荷した
御本も元禄をすぎるとしだいに陶土の集荷が困難になり、ついに享保二年(1717)にその幕を閉じ、その後しばらくは対馬でこれを補うがやがてこれも閉窯する事になる』(丸山陶李「御本茶碗」より)
御本立鶴茶碗写し

見込み

割高台
高台の径は、本歌より大きくしてみた。

菓子は、ささまの上生菓子‘紫陽花’
『紫陽花(錦玉)
白餡に半錦(錦玉と羊羹の中間の物)を付け淡雪羹を付けた物です。
雨に濡れ咲いている紫陽花を表現しています。
北海道産大手亡、砂糖、水飴、寒天、卵白、着色料(赤色3号 赤色105号 青色1号)を使用』(「御菓子処さゝま」紫陽花より)

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